仕事に人生を奪われる女性たち-脱出のカギは、”降りること”
今週のお題「ちょっとコワい話」
今日は一つブログ記事をアップしたので、
もうPCを閉じようと思っていたら、こんなニュースが目に留まりました。
この記事を読んで、昔の自分を思い出しました。
といってもそう遠くない、つい去年までの自分です。
20代から38歳まで経理・総務の仕事をしていたけれど、
特に30代に入ってからは、このニュースのように”リラックスできない”状態に常に陥ってました。
仕事は常に間違いなく、時間内に終わらせる。
でないと上司に怒られるし、終わるまで帰れない。
小心者だし、不安症だし、失敗してみんなの前で怒られたくない。
だから何度も確認するけど、家に帰ってからも不安が続く。
自動的にご飯やお風呂などの本能欲求は満たすけど、頭の中には仕事の事がチラホラ。
”あれは、やったっけ?”
”あれは、ちゃんと処理したよね。だから週明けにああすれば間に合うよね。”
金曜の夜に見ようと思っていた映画を見ても、
ふと思い出した仕事のタスクを手帳にメモしたり、
月曜日に忘れないようにと自分のPCから会社のPCに"やることリスト”を送ったり。
そんなこと考えている間に、あっというまにサザエさんの時間になって憂鬱になったり。
しかも人間関係があまりよくないときはもっと最悪。
間違うとあの人に笑われる。
絶対お昼時間に、ほかの同僚と一緒に噂話にされる。
そんなことを考えていると、絶対ミスしないようなことまでミスしてしまう。
心臓がきゅ~~っと潰されている感覚が続いて、
夜ベッドに入ってもなかなか寝付けない。
あぁ、最近ワタシ笑ってない・・・。
何度か転職したけれど、3つくらいあったかな~こういう職場。
その中の1つに勤めてたとき、年下女からの嫌がらせと、決算の責任、頼りにしてた同僚の退職、好きな人との別れが重なり、ついに体が悲鳴をあげました。
手術になってやっと休める
なんて、なんておかしな話なんだろう。
ワタシは病気になるために仕事をしているのだろうか?
こんなに苦しくて辛いことが、生きる・働くということなんだろうか?
そしてこれをあと30年も続けなくちゃいけないんだろうか?
きっと、30年経つ前に再び体が悲鳴をあげるか、
最悪自ら命を絶ってしまうだろう。
手術を終えて半年間、
一人暮らしのアパートで大好きな映画を見ながら、
料理をし、猫と昼寝し、刺繍をして、心穏やかなときを過ごしました。
こんな時間がずっと続けばいいのに。
そのためにはどうしたら良いんだろう。
その前から世の中の仕組みに興味があって、
歴史や哲学、社会について色々と本を読んでいたけれど、
手術をしてからはもっと読むようになりました。
きっと自分なりに”この生き方から脱出したい!”という気持ちが
MAXに近づいていたのかもしれない。
そして一つ一つ自分の中にある疑問を解決するため、
自分と対話し、覚えておきたいことは書き留めるようになりました。
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そもそも何でこの仕事をやっているんだろう?
きっかけは社会を知るためだったはず。
もう十分世の中のこと勉強したじゃない?
全部じゃないけど、少なくとも枠組みぐらいはわかるようになった。
いつまでこの勉強とやらを続けるの?
でも一人暮らしを続けるにはお金がかかるし、
まとまったお金を稼ぐには、今自分ができる事は事務しかないし・・・。
でもその仕事を続けるからこうなったんだよね?
ほかの選択肢はないの?
好きなことはあるけど仕事にできるレベルじゃないし、
ほんとに趣味程度だし。
じゃあ最低限の生活費を稼いで好きなことやればいいよね?
でもそれじゃあ、親や友達に何ていわれるか・・・。
これから60歳まで数十年、ずーっとこんな心が死んだまま一生を終えるの?
もう手足も動かないでベッドで呼吸器に繋がれたままになって、
あとはもう死を待つのみっていう状態になったとき、
あぁ、あんな心が死んだ状態でもずっと働き続けてよかった。
これで私の人生、後悔なく終わらせられる。
って言えるの??
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と、こんな自問自答を毎回繰り返し考えてました。
けれど手術のあと、実際に今の生活に至るまでには2年かかってます。
実家には帰ってきて、家族がいる安心感や経済的には助かったけれど、
働き方だけは、まだ変えられませんでした。
そしてそこでまた、年下の女性からいじめられるという事態に陥りますw。
しかも仕事の内容も今までの中で一番難しいレベル。
仕事を覚えるまでの半年間は、本当に本当に辛かった。
彼女に怒られても無視されても冷たくされても、言い返すことすらできない。
それでも一緒にお昼を食べなければいけない。
休憩中ですら心が休めない。
毎朝5時半に起きて弁当を作り、7時前には家を出る。
40分かけて車通勤で通い、駐車場からさらに会社まで歩いて5分。
一番後に入った私は、始業開始30分前から掃除を開始。
終わってからみんなでお茶休憩。
そして8時から17時まで勤務。
決算時は終わるまで帰れない。
もうイヤだ。
遠い職場も、
責任の多い仕事も、
嫌な女がいる職場も、
無駄な掃除や当番が多いルールも。
そしてこれを
他の誰でもない、自分が全て選択していたことに、
全ての原因があることにやっと気づきます。
そしてそれは、
親や友達、世間に認めてもらうための承認欲求でした。
決して自分らしくない設定を背負い込んだ私は、
親に認めてもらえることはできたけれども、
その代わりに自分らしさをどんどん失っていきました。
好きなことを楽しめなくなり、
イライラすることが多くなり、
正論をかざして弱い人を攻めました。
典型的な”ヤなヤツ”ですね~・・・。
私のその変化に気づいたのは、なんと姉でした。
姉が言った言葉はこんな感じ。
経理をやっているのは、私らしくない。
一人暮らしして、自立して立派だけれども、怒りやすくなった。
話してても心に壁があるみたい。
誰も寄せ付けない、見えない壁がある。
3年前に実家に帰ってきて、一人暮らしを降り、
去年ようやくその仕事を辞めたことで、
自分らしくない仕事・責任・安定した収入すべてを手放しました。
当然親、ウチの場合は父親と衝突です。
けれど17年間の思いを蓄積した決断はそう簡単には崩れませんw。
もう私は十分まじめに頑張った。
自分の最低限の生活費は稼ぐから、好きにさせてくれと。
そして、"好き”をキーワードに仕事を選びました。
今はいちご農家と画材屋さんにお世話になってます。
いちご農家さんは夏はお休みで、画材屋さんは週4日なので
週休3日ですね。
二つとも職場は超近いので、通勤も楽々。
お昼は車の中でおべんと食べて自由です。
服装も髪型も自由で、年代バラバラのバイト仲間と楽しく働いてます。
休日は刺繍をしたり、色々創作を楽しんでます。
父親はどうなったか、というと・・・。
年金をもらっているんだけど、お小遣い稼ぎでアルバイトしてたんですよね。
そのアルバイトをある日突然辞めてきちゃいましたw。
ずっと嫌々行ってたんですよね。
ウチは母が働くのが好きなので、父は仕方なく母に合わせて働いていたみたい。
本当は家でゆっくりしたかったんでしょう。
それを娘の私が先に実行したものだから、最初は八つ当たりされましたw。
アルバイトを辞めてからは、父はものすごく幸せそうです。
きっと母に悪くて辞められなかったのでしょう。
今では暇さえあれば図書館に行き、本やDVDを見て引退生活を楽しんでます。
ついこの間まで、あんなにお金に執着していた父が、
”お金じゃないんだな。時間があるっていうのはこんなにも余裕があるんだな”
と、言っていました。
激しく同意しました。
時間はお金なのです。
私たちは大人になると、
常に勉強・受験・試験・仕事に追われて、
昔、永遠に続くかのような時間があった、子供の頃の夏休みを忘れてしまいます。
もちろん大人になった今、生活費を自分で稼ぐことは必要だけれども、
果たして自分の時間全てを費やしてまで得なければいけない金額なのかどうか、
人の目を気にして背負っているものはないのか、一度考えてみるのも良いかもしれません。
それは意外と簡単に降ろせるものかも。
仕事を辞めた後に、当時の自分の忙しさや苦しさを、子供向けに説明した童話と出会い、読んだ後に号泣しました。
今の資本主義が人間の心にどんな影響を与えるのか。
これを知っているだけでも、自分を守ることができるようになりますよ。
ぜひ一度読んでみてくださいね。
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そしてちょっと難しく、達観した、そしてクセのある本だけど参考になった本。
どちらもお勧めです。